『囚われのアマル』
アイシャ・サイート作 相良倫子、訳 2020年4月
さ・え・ら書房
アマルは、パキスタンのパンジャーブ地方に住む12歳の女の子。上級学校に進学して将来は小学校の先生になることを夢見ています。アマルの家は、大地主のカーンから謝金をしていますが、アマルは、カーンの息子ジャワッドの運転する車にはねられます。アマルは、ジャワッドに抗議しますが、ジャワッドはそれが気に入らず、アマルの家の謝金を全部返すようと要求します。莫大な借金を返すことはできないというと、カーン家の女中としてアマルを差し出すように言うのです。
アマルは、地主のカーンの家の住み込みの女中として働くことになります。父は借金を返して、家に戻してくれるというのですが、毎日の食費が上積みされ、借金が増えていく仕組みのために、永遠に返済できない事を知り、一生女中として働く運命であることを知ります。しかし、アマルは希望を捨てませんでした。ほかの使用人に文字を教えたり、カーンの家にある本を隠れて読んだりして、希望をつなごうとします。
アマルは、カーンの奥さんナスリーン夫人のお世話の仕事をしていました。ナスリーン夫人は、自身が貧しい家庭で育ったことから、アマルの思いを理解していました。
カーンは、選挙に出ることになります。当選するための実績を作るため「識字センター」をアマルの村に建てることになります。村人はカーンの横暴に苦しめられていましたので、誰も「識字センター」に行こうとしません。そこで、カーンはアマルに識字センターに行くように命じられ、識字センターのたった一人の生徒になります。
アマルは識字センターのアシフ先生に、自分の境遇を訴えます。アシフ先生は、カーンの横暴な振る舞いを警察に訴えて、カーンと息子シャワッドは逮捕され、投獄され、アマルたちの借金も無効となります。
アマルは、ナスリーン夫人の計らいで、カーンの家を出て自由の身となり。父母のもとに帰ることができます。
パキスタンといえば、マララ・ユズフサイが、女子が教育を受ける権利を主張したために、学校の帰りに銃撃されたことはよく知られています。アマルも教育を受ける権利を奪われたわけです。このアマルのお話はフィクションですが、このような現実がパキスタンにあること、女性が教育を受ける自由が必要であることを作者は訴えています。
(渡部康夫)
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ゆうた君 (月曜日, 22 6月 2020 13:50)
今、この世界の現実の厳しさというか、いや、それでも歴史は進んでいるからこそ、不当な扱いが解決されるようになったことを物語っているのだというのか…。
表紙の絵が魅力的ですね。