『ワタシゴト 14歳のひろしま』
中澤晶子著 ささめやゆきえ
この物語は修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた14歳中学生たちが題材となっている。「ワタシゴト」は「渡し事」と「私事」の二つの意味がある作者の造語だそうだ。ひろしまが遠い過去の恐ろしい出来事ではなく、多感な中学生がその時に生きた人たちに思いをワタシゴトとしてとらえる。
〈お弁当箱〉母親とのいさかいからお弁当箱を叩き落したことが心に引っかかったまま広島を訪れた俊介は、真っ黒な弁当箱を苦い思いで見つめる。「くそっ、あの日、弁当箱を抱いて骨になったあいつはどんな奴だった。」
〈ワンピース〉広島に修学旅行なんて行かせたくないと思う親もいるのかもしれない。みさきは足を骨折しながらも母親の反対を押し切って参加する。展示されたワンピースを見るために。展示されたワンピースの持ち主の思いが、みさきには聞こえる。
〈くつ〉雪人はこの修学旅行で優等生からの脱却を願う。派手なハイカットのシューズを履いていくが。
〈いし〉石が大好きな和貴のグループは事前学習で屋根瓦を高熱のバーナーで焼く実験を見学し、瓦が溶けるすさまじさを目の当たりにする。
〈ごめんなさい〉あかりは東日本大震災のつらい経験から資料館に入ることができない。みんなを待つ間に平和公園の中で老女と出会う。
「戦争」を語り継がねばならない、どう伝えたらよいのだろうか。子どもたちにも、大人にも実感がわかなくなってる。学校で取り上げにくくなっている。などとされる今、この作品はそれを超えようという試みが感じられる。
悩み多く、自暴自棄になり、心に熱いものを抱えている思春期のこの時期にヒロシマと出会うことで自分自身も見つめなおす。このような出会いをしてほしいと願う。この物語の中で紹介される修学旅行のための事前学習も興味深い。
1985年から2019年の間に広島の原爆資料館(平和記念資料館)に訪れた修学旅行生は1352万人だそうだ。著者は24年もの間、広島を訪れる修学旅行生との付き合いがある。そうした豊富な経験を土台にしたこの作品は、ワタシゴトが素直に伝わってくる。「フィクションだからこそ、今、ノンフィクション以上に伝えられることがある。」と、どこかのシンポジウムで聞いた言葉だ。(石井啓子)
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ゆうた君 (日曜日, 04 10月 2020 17:17)
さっそく借り出して読みました。
おもしろかったです。
「いまどきの中学生」の姿の後ろに見える心に感銘を受けました。
私たちもこのように「物語」にしてみる活動が求められるのではないかと思いました。