『さいごのゆうれい』 斎藤倫 、西村ツチカ・画
福音館2021.4
語りは、5年生の「ぼく」タツミハジメ。幼いときに母を亡くし、父と二人で暮らしている。父は製薬会社の研究者。母が亡くなったショックの中にあった父に、母は夢枕に立って「かなしみ」「くるしみ」をわすれる薬を告げる。父は赤井カンナの花から調合して製品化し、世界中で日常的に使われるようになる。つまり、「かなしみ」「くるしみ」を人々が忘れ「たのしく」暮らしていくようになっている。これが「大幸福じだい」だ。とてもこわい。政治家の思うがままだ。そうなると、お盆になっても「お迎え」はしないし、死者を忘れゆうれいの出番もなくなるというわけである。そこで、この「さいごのゆうれい」の登場となる。「ぼく」は、父の忙しいときや長期の休みは母の実家の祖母の元に託される。5年生の夏休みも田舎で過ごすことになる。ぼくは飛行機を眺めるのが好き。空港が好き。おばあちゃんの家は空港のすぐそばだから、毎日、空港に行って飛行機を眺めて過ごす。そして、お盆の8月13日から16日までの4日間の物語となる。13日、ふしぎな飛行機が降りたって、女の子が一人おりてきた。それがゆうれいのネム。飛行機は「お盆航空」。そこに、二人の人物が物語に加わる。「絶滅危惧存在保護機構」の女性ミャオ・ター。ほとんどトラの顔。ゆうれいを捕らえて研究しようとネムを追っている。托鉢僧のゲンゾウ。お盆の終わる時、おかあさんのゆうれいが現れ、一緒にカンナのゆうれいの国との境の橋に咲く赤い花を燃やし尽くして「かなしみ」を取り戻す戦いとなる。その経過で、ミャオ・ター、ゲンゾウ、おとうさん(迎えに来る)、そしてネムのかなしみの過去が明らかになる。
-かなしみは、ぼくらにいう。 「おそれるな」と。―詩的な文体だ。空港の上の空の広さをこう言う。
「飛行機のために、ひろく開けてある空の、そのはしっこに、はがれた魚のうろこみたいな太陽を見つけた。」 ハジメを5年生に設定したのも納得だ。語りも5年生なら理解できるし、4年生ではついていけないかもしれないという表現、展開も読書のプライドを引きたてる。重松清さんが「5年生には全てがある」と書いている(『五年生』)通りだ。最後は中3になった「ぼく」のつぶやきで結んでいるのも、一つの峠を越えた成長を示している。
テーマは「かなしみ」だろう。デッサン風の黒いペンで描かれたシンプルな挿絵がとても利いている。ファンタジーの世界に過剰にならず、イメージを持つのにうまくいざなってくれる。斎藤倫、なかなか豊かな作家だと思う。(岩辺泰吏)
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