子どもの時代には、その時代の意味がある
『ペーターという名のオオカミ』
作者・那須田淳さんは1995年からベルリンに住んでおられる。舞台はドイツ。ベルリン近郊。森の広がる国立公園がいくつもある。そして、チェコのボヘミア地方と国境を隔てている。時は、1989年12月の「ベルリンの壁」崩壊から10年後。(ちなみにこの本は2003年12月初版)
語り手「ぼく」は新聞社勤務である父、そして母と共にベルリンに住んで6年になる中学生。ドイツ語にも慣れ友人もできて楽しくなってきたところで、突然に日本に帰ることになった父の話に反発して家出。日本語の家庭教師をしてくれていた小林先生の家に転がり込む。そこで、同年齢の中学生アキラと行動を共にすることになる。アキラは音楽家で独断的な父(日本人)と離婚した母(ドイツ人)と共にベルリンに移り住んでいる。小林先生の下宿するマンションに……(こんなことを書いていると長い説明になってしまうな)に住む偏屈屋の独身おじさん・マックスとの3人で、オオカミセンターに囲い込まれることになっていたオオカミの群れを故郷であるチェコの森に逃がし、公園で見つけた子オオカミ「ぺーター」を群れにもどす行動を共にする。その冒険の話に、東ドイツ時代の市民監視社会の時代がからんでいく。野生のオオカミを自然に戻すというストーリーに、戦後ドイツの分断された「冷戦時代」の歴史が深くかかわるというぜいたくな学びともなる物語で、読みごたえがあった。
ちょっといい言葉。
「子オオカミは、オオカミの群れの中でしか育たない。だが、いずれ成長したしたとき、今度は一匹オオカミになって、自分の群れをつくるために旅に出るのだと……。それって子どもの時代に、子オオカミは、オオカミとしての生きるすべを身につけるっていうことだろう。ただ、漫然と、親に持ってきてもらった飯を食っているだけじゃないはずだ。つまり、子どもの時代には、その時代の意味があるってことだろう?」(267p)
「ぼくらは…… ぼくらはオオカミなのだ。」(322p)
「それは、草原をかけるオオカミのように、自由の翼を持って、はてしない宇宙へと響いていくのだった。」(362p、結び)
しっかり歯ごたえのある少年文学だった。第51回産経児童出版文化賞。第20回坪田譲治文学賞。 『ペーターという名のオオカミ』小峰書店2003.12(岩辺)
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